日本初の個人名を冠したブランド牛の『のざき牛』を作り上げた野崎喜久雄さん。



今回の夢の扉プラスは、日本初の個人名を冠したブランド牛の『のざき牛』を作り上げた野崎喜久雄さんを取り上げています。

野崎喜久雄さんは鹿児島で黒毛和牛を生産し、彼が育てた個人ブランドの『のざき牛』は、2年連続で和牛日本一になるなど高い評価を受けています。



現在は黒毛和牛約5000頭を肥育、従業員の平均年齢も24歳の15名の若者達を率いて、一人のスタッフに300頭から400頭の牛の世話を完全に任せるというシステムで業績を上げています。

今は、常時肥育頭数10000頭を目指して野崎牧場一丸となって奮闘しているところです。


一見順風満帆に見える野崎牧場ですが、様々な困難を乗り越えてきて現在があります。


野崎喜久雄が最初に出会った苦境、それは1990年代の牛肉の輸入自由化から起こりました。

取引先のほとんどが単価の安い輸入牛肉に目を取られ取引が大幅に減少、経営の危機に陥ります。


牛肉の輸入自由化の影響による経営の危機、それを野崎さんは、「牛肉の品質の6割は血統で決まる」という信念の下、良質の肉がたくさん取れる体の大きな牛を作るための種牛づくりに挑むことで乗り越えます。


日本全国を飛び回り理想の牛を探して歩きました。そしてついに、血統の優れた『平茂勝』という理想の種牛を誕生させました。


平茂勝は本当に理想的な種牛で、現在、鹿児島で行われている子牛のせりの8割が、平茂勝の血統を受け継いでいて、子孫の数は31万頭にもなると言われ、鹿児島の和牛は『平茂勝』の御陰で持っていると言われるほどの貢献をしています。



理想の種牛平茂勝が出来、野崎牧場の経営も順調に進んでいた正にその時、川内川の氾濫によって全ての牛舎が水没し、従業員全員での水難牛救出の甲斐もなく約4億5千万円の損害を被ってしまいました。


この被害によって一時は廃業も考えた野崎さんですが、水没した牛舎から必死に牛を救出しようとしていた従業員の姿を思い起こし、野崎牧場再建に命を賭けることを決意、即行動に移します。


地元の鹿児島銀行に融資を依頼。当時頭取だった永田さんは、黒毛和牛にかける野崎さんの経営方針に全幅の信頼を持っていて、何のためらいもなく融資してくれました。


鹿児島銀行の融資を受け再建を果たした野崎さん、現在は野崎牛を世界に広めようと活動しています。


そして先月、『のざき牛』という個人ブランドで初めて香港への輸出が決まり、日本料理店・牛陣で『野崎牛』メニューが載り、食べたお客様に「本当に美味しい」との評価を受けています。



通常、高品質とされるA4・A5は流通する黒毛和牛の約半数ですが、のざき牧場から出荷される割合は90%以上だと言われるほどの高品質の肉を生み出す野崎牧場、現在は牛の肥育はほとんど若い従業員に任されています。

もちろん、香港出荷用の牛も従業員たちに選ばせて全てを任せました。


黒毛和牛を世界に広げる野崎さんの目標、若い従業員たちの努力に後押しされ必ず達成できることでしょう。

加えて、黒毛和牛肥育の頼もしい後継者が野崎牧場から続々誕生することは間違いありません。



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